平和祈念コンサート 「第九」ソリストとして出演
平和祈念コンサート
ベートーヴェン第九ソプラノソリストとして昼夜公演
2004年8月7日(土)
東京芸術劇場コンサートホール
地元(行田)からも沢山の方が聴きに来て
下さいました🎶
終演後、楽屋口にて
ミュージックメーカーズの松本文男先生に
聴いて頂けたことは大きな誇りです♪
「極限の中から生まれる音」
公演後1通のお手紙を頂いた。ミュージックメーカーズの松本文男先生からである。
「素敵な1日をプレゼントしてくれた貴女に感謝」、、、胸が詰まった。
様々な思いを抱きながら終えた今回の公演。このフレーズは、また次への一歩を踏み出させてくれた。
猛暑の中の昼夜2回公演。身体的にも調整が必要だった。その中で練習の方には精神的に本当に大きく支えて頂き、2年前と同じ場所の「第九」だが、公演を通してまた多くのことを学ぶことが出来た。人は決して一人では生きられない。悲しいことに人を傷つけるのは人でありそれを癒すのも人である。でも、人は癒されている時には何も生み出せない。改めて本当の自分を見ることができるのは
自分自身の力で歩き始めた時である。
音に対する純粋な気持ちを持ち続けていく為には、自分の心に素直になることが大切だが非常に難しい。それは極限を経た時に初めて出来ることだからである。
「極限の中から生まれる音」は、人に強い
メッセージを与える。ベートーヴェンはまさに極限の中、作品を通して多くのメッセージを残した。自分を決して裏切らず、自身の求めるものを純粋に追い続けた証である。
今回、そのメッセージを改めて歌わせて頂いたことは私にとって大きな誇りであると同時に、自分自身への挑戦でもあったと実感した貴重な公演だった。
当日のコンサート評
8月7日(土)東京芸術劇場大ホール
第151回「宇宿允人の世界」
平和祈念コンサート
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
ベートーヴェン:「交響曲第5番」ハ短調作品67
ベートーヴェン:「交響曲第9番」ニ短調作品125<合唱付>
指揮:宇宿允人
管弦楽:フロイデフィルハーモニー
ソプラノ:青柳有香子、
アルト:星野恵里、
テノール:森田有生、
バリトン:山崎岩男
合唱:フロイデフィルハーモニー合唱団
夏の盛り、このシーズンはプロのオーケストラの定期演奏会は夏休みのため、演奏会もあったとしても”親子のためのポピュラーコンサート”の類が多く、いささか物足りないのだが、宇宿さんは音楽人に夏休みなどない!と言わんばかりの超重量級の演奏会を開かれます。”運命”と”第九”と序曲などというプログラムは、演奏者にも聴く側にも負担が大きくてなかなかできないもの。しかも、今日は14:00と19:00の2回も演奏するといいます。 私のコンサート選びというのはほとんど無計画的で、前売り券を買うことはめったにありません。今日のコンサートも行くのを決めたのは朝起きてから。最近の宇宿さんのコンサートはほぼ満席になるので、早めに会場に行って当日券を買いました。開場になる頃には既に当日券は売り切れ。「A席譲ってください」などの紙を持った方も数人出る
ほど。
さて、演奏会の最初は「エグモント序曲」。宇宿さんがタクトを下ろす。しかし音が出ないと思ったら、ぱっとトランペットと弦が会場をつんざいた。彼の棒は素人には全く読めない。何度も練習を重ねた団員だけがその”気”を感じることができる。一歩一歩踏みしめるように音楽が進む。彼の指揮するこの序曲は何度か聴いたが聴くたびに彫りが深くなっている。オーケストラの気合も並大抵でないことがひしひしと伝わってくる。彼の
音楽観については、プログラム等に度々掲載されていて、その精神至上主義的な考えに少々付いていけないと感じる人もいるかもしれない。私もはじめは正直、半信半疑で彼の音楽を聴いていた。やや強引な音楽作りに、言行不一致ではないかと感じたこともある。しかし、最近の内的に密度の高い演奏を聴くうちに、彼の言葉と演奏がかなり近づいてきているのを感じている。「エグモント」はそんな演奏だった。大変劇的な演奏であるが、中身がいっぱに詰まっている。この曲の私のお気に入りは、ジョージ・セルがウィーン・フィルを振ったスタジオ録音だが、それ以上かと思えるくらいの名演だった。
続いて「第5番」。冒頭、今度も指揮棒を動かしてもなかなか音が出ない。いつ出るんだと思った頃に、突き上げられるように音が出た。今度はさすがに少し乱れたが、これこそ宇宿流の指揮なのだ。ティンパニが豪快なのが彼の演奏の特徴であり、私もそこがかなり好きなのだが、全面的に成功しているかというと、必ずしもそうでなく、ティンパニの強さが音楽を汚してしまっているところもなくはない。”運命”は難しい曲と言われるだけに、宇宿さんとしてもまだまだ追求しがいがあるのではないかと思われます。しかし第2楽章は、とても自然でのびのびとした音楽になっていました。私にとってこの楽章は、幼少時のかすかな記憶と結びついていて、懐かしさという以上に魂があの頃へ飛んでいってしまうような恐怖感のようなものを感じます。普段閉まっている潜在意識の扉を開ける音楽なのかもしれません。第3楽章から第4楽章へはとても劇的。とても緊張感の高い音楽で、まるで2時間の映画を見たような充実感と疲労感を感じました。
演間ではありますが、拍手のあと宇宿さんがマイクを手に取られ、25分の長めの休憩。
さて、後半の「第九」。宇宿さんの第九を聴くのは2002年の12月以来。ティンパニの力強さは、この曲にはよく合っている。
力強さが格調の高さに繋がっている。それにしても楽員の方の集中力はすばらしい。弛緩することが全くない。各パートの一糸乱れぬ動きを見ていると、まるでオーケストラが一つの生き物のように見えてくる。有機的とはこういうことだろう。演奏の印象は1年半前の演奏とほぼ同じだが、アンサンブルの精度だけを取れば、前回聴いたほうに少しだけ軍配が上がるかもしれないが、それは相対的な話であり全体としては極めて質の高い演奏。これだけの第九を演奏できる指揮者とオーケストラが日本でほかにあるだろうか?いや、できる指揮者、オーケストラはあるのだろうが、やろうとしないのかもしれない。ここ迄気合を入れて演奏しなければならないほどの使命を感じられるか?そこが違うのだと思う。あの指揮者とオーケストラは、我々聴衆の大半が期待するところより遥か上の高いものに向かって演奏している。「そこまでやらなくても・・・」と思ってしまうが、宇宿さんにしてみれば、その考えこそが芸術を退廃させる悪の根源なのだろう。とにかく、彼はもの凄い使命感で音楽をやっている。
第3楽章は天上の音楽。とても気持ちよく聴きました。第4楽章は以前より、さらに音楽がスムーズになった気がします。合唱団も、実によく声が出ています。男声、女声とも明晰でオーケストラに負けないほどのエネルギーがあります。大変優秀な合唱団です。よく練習されたと見え、オーケストラともよく合っています。ソリストも美しい。最後のコー
ダは力が入り高揚感も最高でした。大きな拍手に応え、再び宇宿さんがマイクを取ります。彼は、今日が平和祈念コンサートだからではなく、演奏会のたびに戦争のおろかさを訴えてきました。彼の話で初めて知りましたが、ヨーロッパ連合EUの国歌は、この第九の歓喜の歌になったそうです。ベートーヴェンの平和への想いが200年の時を経てようやく形になったということです。そして、最後に「君が代を演奏します」と。
音が出た瞬間、私の体は震えました。実は、生で「君が代」を聴くのは生まれて初めてでした。心を大きく突き動かされたような気がしました。いつもこんなに生の音楽を聴いているのに、自分の国の国歌を聴いたことがなかった。聴き終えて、この曲に心が動いたことで自分は日本人なんだなということを初めて実感として感じた気がしました。そしてアイデンティティーを認識することの大切さ、その為の国歌の役割というものについて考えさせられました。なぜこの国では国歌が慕われないのでしょう?毎年卒業式シーズンになると必ず教師が起立したのしないのがニュースになります。そもそも学校では国歌を教えません。こんな国は世界に他にあるのでしょうか?正直、この「君が代」の歴史的背景について私は全くといっていい程無知ですが、国歌を歌うことがどこかタブー視されているのはおかしいと思います。曲が悪いのなら新しい国歌を作ればいいと思うのですが。日本人みんなが歌える歌があるっていいことだと思いませんか? 本題からそれましたが、そんなことを考えさせる宇宿さんのコンサートでした。実にいい体験をさせていただきました。ありがとうございました。(あの後、もう1回同じ演奏をされたんですよね。脱帽です。どうか無理をしないで末永く棒を振って下さい)February 8, 2006
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